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負のオーラ

いろいろなことが起こる時ってのは、どうしてまた次から次と起こるものなのか?

廃人と化した私を家から厄介払いしたい夫によって、娘のところに追い出された旅から戻ってきた私の前になぜか意気消沈した夫が待っていた

私が旅に出た間に姉から連絡が来たらしい

姉、つまり私にとっては義姉

その義姉が、ガンになって、手術するらしい

それを高齢のあの人に伝えることができず、一人で苦しんでいたらしい

義姉は、あの人にとってはこの世で一番の存在だという認識らしく、ガンになったなどと聞かせたら、あの人が倒れてしまうというのだ

私としては、死んだものなど忘れてしまえというような人間がそんなことで倒れたりはしないと心の中で思ったが、一応嫁として心配してるふりをした

すると夫は、心配で自分が義姉の元に駆けつけたいが姉が不憫でかける言葉がみつからないとか訳がわからないことを言いだし、私に代わりに様子を見て来てほしいとのたまった

私の親が危篤の時は、家族揃って関係ない顔をしてたくせに自分の家族だとこうもうろたえたりするものなんだと呆れた

よくもそんなことを私に言うことができるものだ

やっぱり夫は、あの人の子供だ

そんなわけで、私が腰抜けで図々しい夫に代わりに義姉の付き添いに出かけた

まぁ、行く前からそんな気はしてたが、何でも自分達のことは大袈裟に騒ぐ一族だけあり、義姉のガンは、ごく初期の段階で、死ぬの生きるのというものではないようだった

手術後も寝込むこともなく、ピンピンして私よりはるかに健康そうな義姉に何日もつきそう理由もないので

久しぶりに離れた街に住んでいる親友2人に連絡をとった

50も過ぎた我々は、子供もそろそろ手が離れ、年寄りの介護やら、自分の病気なんかと過ごしている状態なので、比較的お誘いには、あっさり乗って来てくれる

お互い似たり寄ったりの悩みや愚痴で話しは尽きないが、今回、久しぶりに話していて感じたのは、この年齢になって、自分達が人生の転換期に差し掛かっているらしいということだった

結婚して、子育ても終わり、親を亡くしたり、介護したり、はたまた体調の崩れなどを感じる中、今まで通りの生き方で良いのか、このままの状態でやっていけるのか、そんなことをお互い考える時期に差し掛かっているんだってことが、友の話しを聞きながら、自分もまさしくそうなのかもしれないと改めて実感した

悪いことばかりが起こるのよ、という友は、今年に入ってからトラブル続きで、私は負のオーラに包まれちゃっているって、真顔で言っていた

そんなこと言うのなら、私なんかもこの数年間、負のオーラをそこら辺中に撒き散らしていた可能性が高く

そのオーラのせいで周りに不幸が起きていたと言ってもおかしくない状態だ

そんなことを思うほど、私達の心と体の変化が大きくて、今まさにその変化を受け止めなくてはならない時なのだろう

ここからは、妻である自分、母である自分、嫁である自分の暖簾をさげて、自分っていう暖簾に掛け換えて生きていく時だねと親友と話しながら、私の中のもやもやも少し醒めたような気がした

こんな機会を与えてくれて、腰抜けの夫に少し感謝しながら、学生時代を過ごした街に別れをつげ、帰宅した

泣いててもいいんだよ

もう、死んでしまったんだから忘れなさい 

そうあの人は、言った

さっき、死んじゃったのって言った私にあの人はそう言った

意味がわからなかった

貴女にもあんなに懐いていたじゃない

可愛いって言ってたじゃない

それなのに出てきた言葉は、それなんだ

なんだか、許せない気持ちになってしまった

信心深い人と思っていたが、それは、あの人自身に向けられているだけのもの

周りの全てに向けられているものではなかった

私の両親が逝ってしまった後もあの子が逝ってしまった後も同じだったから

あれは、信心深さからくるものではなく、自分が醜いほど生にしがみついているその姿だった

きっと、周りから疎まれながらもあの人は、生きていくんだろう

でも、今回のことでよくわかった

私も忘れる

貴女のこと

生きるっていうのは、1人で頑張ることなんだろう

貴女から教えてもらった

 

こんな時に見えなかったものが見えてくることもあるんだって、わかった

 

止めることができない涙を無理やり止めなさいと言われ、成仏できないなんて言葉で呪縛する

そんな人が以外に多いことに驚いた

こんなにあの子達が人間を信頼し、愛し共に生きているのに、まだあの子達を畜生扱いしている人間がこんなにいることに心から失望したし哀しい気持ちになった

人間は、そんなに偉くない

人間は特別でもない

あの子達のひたむきな生き方を知っている人は絶対、こんなこと思わないはずだ

人と生きる道を選んだあの子達は、本当に美しい生き方をする

生まれてきて、人を愛し、ただひたすら自分に与えられた犬生を生きる、そしてその時がきたら静かに終わりを迎える

こんな風に生きるあの子達を人間とは違うとか一緒の扱いをしてはいけないとか、それを神の言葉だと語る人たちは、どれほど自分を奢っているのか

 

あの子達と家族として暮らした人達は、みんな、そんな、心無い言葉に苦しんだことが一度はあるのかもしれない

泣いててもいいんだよ

思いっきり泣いていいんだよ

私もまだ泣いてるよ

そう言って、一緒に泣く

 

いろいろと本当にいろいろと考えさせられる

これもあの子が私に遺していってくれたものなのかもしれない

 

熱海

2年前に母、昨年の夏に父を

そして、私の一部だったあの子も旅立っていった

なんていうことだろう

ぽっかりというよりは、もっと大きな深い穴が私の心にあいた

はじめて感じる深い喪失感だった

立ち直れないのではないかというより、立ち直る気持ちさえもなくなってしまった

不謹慎かもしれないが、長い闘病生活を送っていた母と父を見送ったときは、ホッとした気持ちもあったことは、事実だ

でも、なんだろう

ものを言わないあの子が、突然の病魔に襲われて、わずかな時間で逝ってしまった、あの時、悲しみよりも深い何かが、私の中で、渦を巻いて、そこから、動くことができなくなった

あれから、3ヶ月

もう少しで、あの子が迎えるはずだった13度目のバースデーの日がくる

何も手につかない私をもう半ば呆れた夫が、どこか行って来たらと引きこもり状態の私を無理やり娘の所に追いやった

まだ、寒いこの時期は、どこに行こうにもよい場所も思いつかず、近場だし、梅でも見に行こうかと熱海に来た

梅はもちろんきれいだったし、熱海桜は、もうすでに葉桜だったけど、ライトアップされて、とても美しかった

多分、こんな引きこもりのおばさんに付き合うなんて、本当は、面倒くさいと思っているだろう娘は、前日、友達と遅くまで遊んでたらしく温泉から上がるとあっという間に寝てしまった

そうなっちゃうと熱海だろうと温泉だろうと1人でいる時と同じで、また、あの寂しさの中に戻ってしまいそうになる

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これから、どうなるんだろうと自分のことなのに全くわからない

私の行くべきところは、気晴らしの旅行ではなく、病院だったのかもしれない